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上野焼とは

上野焼の特徴

五感に心地よい薄づくり

「重くもなく、かといって軽すぎない。口に当てて柔らかく、

口当たりがよい。
  使って分かる心地よい重さと質感。
  決して目立ち過ぎることもなく、それでいて存在感がある・・・」
茶陶として発展した上野焼は、他の陶器類と比較して、極めて軽く、

薄づくりであるという特徴を持っています。

五感に心地良い、土の持つ素朴さ、力強さの中に

「薄づくり」の上品さを秘めたその特徴は

現在にも受け継がれています。

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自由で豊かな色と肌

丹念に仕上げられた土から作り出される陶肌と、

多彩な釉薬が織りなす色彩美。
上野焼は、使う釉薬の種類が他に類を見ない程多いのが

特徴のひとつです。
花や料理など、入れるもの・盛りつけるものと、

器がお互いを高めあい、
一体となった美しさを表現します。

「使ってこそ美しい」上野焼の魅力のひとつです。

古来よりの伝承

食器類は、古来より毒を消し中風に罹らないと言われてきました。
また、酒の風味をよくし飲食物が腐敗しにくいとも

言い伝えられてきたのです。
上野焼の伝統をふまえ、

現代のそして未来の上野焼の姿を探し続けるエネルギーが
上野焼の新しい歴史を刻んでいます。

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上野焼の歴史

上野焼の歩み

李朝陶工・尊楷と西国大名の中でも茶道に造詣が深く、千利休から直接教えを受け「茶禅一味」の奥義をめた、豊前小倉藩主・細川忠興侯(三斎)。この二人の出会いが、上野焼四百年の歴史の最初の一歩でした。
細川忠興侯は1602年尊楷を招き、陶土、水質に恵まれた上野の地に窯を築きました。
尊楷は地名にちなんで上野喜蔵高国と名を改め、細川忠興侯の指導により、三斎好みの格調高い茶陶を30年間、献上し続けました。

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遠州七窯のひとつ

徳川時代になると、徳川家茶道指南役の大茶人・小堀遠州が茶道具を作るために全国七ヶ所の窯元を選定しました。
これが遠州七窯です。中でも独特のあたたかみを持つ上野焼は、当時の茶人に大変好まれたそうです。

遠州七窯

志戸呂焼(遠江:遠州)・膳所焼(近江)・朝日焼(山城)

赤膚焼(大和)・古曽部焼(摂津)・上野焼(豊前)・高取焼(筑前)

燃え続ける窯の炎

明治時代、廃藩置県により豊前小倉藩が無くなった後、上野焼は一時期途絶えてしまったかのように思われましたが、明治三十五年に田川郡の補助を受け再興されました。
時代背景によってその趣を変え、格調高い洗練された形を今に残す上野焼。
昭和五十八年には国の伝統的工芸品の指定を受けました。
四百年の伝統と歴史の中で、現代の感覚を取り入れ洗練された優美な作品に数多くの特色を発揮しています

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